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昭和15年
1940 |
○紀元二六〇〇年式典挙行(宮城前広場)。 |
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○大政翼賛会、沖縄支部結成。 |
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昭和16年
1941 |
12・8 太平洋戦争起こる。 |
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○第八代村長 知花清氏就任。 |
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昭和18年
1943 |
7・ 泉守紀県知事着任。 |
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7・ 東条首相、南方視察の帰途来県。 |
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○学徒出陣、各種動員体制にはいる。 |
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○防空演習、竹槍訓練が各市町村で盛んに行われる。 |
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昭和19年
1944 |
○台湾、九州へ疎開始まる。 |
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8・22 学童疎開船対馬丸撃沈される。(於悪石島沖、七五八名の学童死亡) |
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10・10 南西諸島、大空襲をうける。 |
| 第二次世界大戦により、全校舎校具を焼失し、臨時休校となる。 |
昭和20年
1945 |
この年 沖縄戦により村内諸施設・各学校及び民家を焼失する。 |
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2・ 村民の国頭避難が始まる。 |
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3・23 千数百機の米軍機による大空襲が始まり、村内に残っていた住民は急いで北部方面へ避難する。 |
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3・25 空襲に加え西海岸に集結した米軍大艦隊からの艦砲射撃の猛攻がはじまる。喜名観音堂近くに駐留中の日本軍から北部方面への退避命令がでる。避難できない老人らを村に残し北に向かうが、空爆のため昼は山中にかくれ、夜の避難となった。 |
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3・29 爆撃のため宇座のヤーガーでは三一人が犠牲になる。 |
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3・30 第三二軍司令官、北・中飛行場の破壊を命ずる。 |
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4・1 米軍は嘉手納、読谷山一帯の海岸線より無血上陸し、読谷山村全域が米軍の占領下となる。 |
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4・ 四月から八月にかけて、国頭に避難した村民は山中を逃げまどい、戦死者、病死者、餓死者が多数出るなど悲惨を極める。捕虜となった村民は国頭、久志、宜野座、金武、石川等の収容所に収容される。 |
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4月下旬 米軍は本土攻撃のためのボーローポイント飛行場を造る。 |
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6・23 牛島満司令官・長勇参謀長の自決により日本軍の組織的戦闘終了。 |
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8・6 米軍、広島に原爆投下。(九日長崎に投下) |
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8・15 ポツダム宣言の受諾により日本は無条件降伏。 |
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8・29 沖縄諮詢委員会設立。 |
| 読谷山初等学校の分校として高志保区の東南端俗称シービヌチジに開校する。 |
昭和21年
1946 |
4・22 軍政府は軍指令「沖縄民政府創設に関する件」を公布し、沖縄中央政府を創設する。 |
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8・6 米軍、字波平、字高志保地域への居住を許可。 |
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8・12 軍政府より読谷山村への移動許可を受け、読谷山村建設隊を組織し、荒廃した読谷山村の再建に着手する。 |
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8・17 復員兵・本土疎開者・引揚者第一船が久場崎に到着する。 |
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8・31 村住民移動中止命令により、建設隊は建設を一時中止して村を引きあげる。 |
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9・11 移動中止命令解除の通知を受ける。 |
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9・16 建設隊再び村建設作業に着手する。 |
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11・15 楚辺、大木地域に居住許可が下り、建設隊南部支隊によって建設が進められる。 |
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11・20 第一次村民受け入れ、辺土名、田井等、久志地区等の在住村民から順次移動を開始する。 |
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11・26 村内に初等学校を設立する。 |
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12・1 読谷山村役所を設置し、役場事務を開始する。 |
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12・12 第一次村民移動で約五、〇〇〇人が村内に居住する。 |
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12・16 これまで使用した村名「読谷山」を「読谷」に改称する。 |
| 渡慶次初等学校として独立復校する。校長に宇座信篤先生が就任。 |
昭和22年
1947 |
1・15 沖縄民政府総務部稲嶺事務官外三名が楚辺、大木地区への村民移住及び農耕許可地の実地調査のため来村する。 |
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1・28 楚辺、大木の居住許可地域の建設に着手する。 |
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2・10 宇座区地域の農耕地を人頭割で分配し、耕作を開始。
同時に、旧宇座部落への移動を米軍に陳情。 |
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4・11 楚辺、大木地域へ住民の村内移動が始まる。 |
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6・7 読谷初等学校において戦没者慰霊祭が執り行われる。 |
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8・ 渡慶次旧部落内道路拡張碁盤型計画に基き設計実測を行う。移動完了祝賀会が高志保で行われ、土地整備もこのころ始まる。 |
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10・16 瀬名波、渡慶次、儀間地域に住民居住許可の通知を受ける。 |
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11・ 渡慶次地域住民旧部落へ移動する。 |
| 制度の改革により新制中学校併置。 |
昭和23年
1948 |
2・1 戦後最初の公選村長選挙で松田平昌が当選する。 |
| 8・ 宮城傳三郎先生、校長に就任。 |
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3・15 第一回読谷村議会が開催される。 |
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4・ 渡慶次字事務所を渡慶次一六七番地に新築。 |
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4・1 全琉で六・三・三制へと学制改革され「教育基本法」「学校教育法」が公布される。 |
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4・15 建設隊感謝状贈呈及び移動完了祝賀会が催される。 |
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5・18 渡慶次、儀間両部落への立退命令により家屋の撤去作業が始まる。 |
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6・ 渡慶次区は高志保、瀬名波への立退き後、行政班の改正を行い、事務所を高志保三八一番地に移転する。 |
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7・10 瀬名波部落住民の移動が完了する。 |
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7・12 高志保ウフカー「大井戸」の西側に宇座区事務所が完成する。 |
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7・15 宇座区、他の地域から移動、その移動完了祝賀会を高志保ウフカーの南側広場で開催する。 |
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11・ 渡慶次区で、戦後第一回目の五歳以下と定めての出産祝賀会を催す。 |
4・ 学区域の変更あり。
学区域は、渡慶次・儀間・宇座・瀬名波・長浜の五ケ部落となる。現敷地に仮校舎(茅葺き丸太土間教室)八棟(一八教室)を五ケ部落民により建築する。 |
昭和24年
1949 |
4・4 村役所を旧工務課敷地(波平三七番地)に移転。 |
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4・18 読谷、渡慶次、喜名各併置中等学校を統合し読谷中学校とする。 |
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4・30 読谷村復興会設立総会が開催される。 |
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7・ 渡慶次復興会を設立。 |
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7・23 グロリア台風襲来し学校・公民館・民家の多くが倒壊する。 |
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12・20 ララ(アジア救済連盟)からの寄贈山羊(アルパイン種)、三〇頭を受領する。 |
| 11・30 宮城傳三郎校長、古堅小学校へ栄転され、コザ教職会より、知花寺次郎先生、校長に就任。 |
昭和25年
1950 |
1・20 宇座北浜屋原の排水溝及び橋梁「マチバシ(巻矼)」工事の施行。 |
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3・15 長浜部落移住許可される。 |
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3・25 琉球諮詢委員に比嘉秀平ら五人が任命される。 |
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4・ 沖縄バスの読谷線が開通する。 |
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4・4 役所事務室の建築が完了。 |
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7・ 渡慶次、儀間二か字で龕を再建する。 |
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8・ 渡慶次区、旧六月二五日を偲んで戦後初の角力大会を開催する。 |
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9・ 渡慶次区、旧八月一五夜の時に獅子・龕の完成祝賀会を催す。 |
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9・3 村長選挙投票、無投票で当山真志が当選する。 |
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9・5 宇座区、沖縄戦で犠牲になったヤーガーの遺骨を収骨し、慰霊碑と招魂碑を建立して慰霊する。 |
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12・29 渡慶次区において再建した忠魂碑の除幕式及び第一回慰霊祭を開催する。 |
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昭和26年
1951 |
4・1 琉球臨時中央政府が発足。主席に読谷村大木出身の比嘉秀平が就任する。 |
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4・3 宇座区、学事奨励会を結成する。 |
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5・1 読谷郵便局に電話が開通、貯金事務を開始する。 |
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5・1 伊良皆、比謝、大湾に居住許可が下りる。 |
| 4・ 永久校舎(煉瓦・瓦葦平屋)一棟二教室を建築する。(文教予算) |
昭和27年
1952 |
この年 長浜区、子供遊び場を造る。 |
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1・ 渡慶次部落への再移動許可が下り、青年会による敷地の整備作業始まる。 |
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3・ 琉球教育法により区教育委員会を設置する。教育長に瑞慶覧朝牛(中央教育委員会任命)委員に喜友名正謹(村長)、知花英夫、山城亀吉、知花弘治、新崎晶、会計係に宮本万次郎が選任される。 |
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3・3 立法院議員選挙開票があり、当山真志当選する。 |
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4・1 教育法の改正により、琉球政府創立の村内初等学校を小学校に、中等学校を中学校に改称する。 |
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4・1 琉球政府が発足、初代行政主席に比嘉秀平が任命され、創立式典が琉球大学で挙行される。 |
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4・30 村長選挙、無投票で喜友名正謹が当選する。五月一五日、就任する。 |
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5・10 宇座区、青年倶楽部及区事務所の建築計画を決定。 |
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12・ 渡慶次夜警団が発足。 |
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昭和28年
1953 |
1・12 「市町村自治法」が制定される。 |
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1・18 沖縄諸島祖国復帰期成会が再発足。第一回祖国復帰県民総決起大会が開催される。 |
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4・3 米国民政府、布令一〇九号「土地収容令」を公布。 |
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11・ 沖縄諸島祖国復帰促進協議会結成。 |
| ○永久校舎(木造・平屋)一棟四教室を建築竣工する。(文教予算)PTAにより炊事宿直室(平屋)建築。 |
昭和29年
1954 |
1・7 アイゼンハワー米大統領、年頭の一般教書で沖縄を無期限に管理すると言明する。 |
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5・18 村役所に電話が開通する。 |
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6・19 第一次南米ボリビア移民団が出発。 |
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6・29 比嘉主席、仲村警察局長・文教局職員を伴い、読谷の各学校及び巡査派出所を巡視する。 |
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7・ 整地された渡慶次公民館敷地に高志保より茅葺き事務所を移転する。 |
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7・18 第二次南米ボリビア移民団が出発。 |
| ○永久校舎(ブロックスラブ)一棟四教室を建築竣工する。(文教予算) |
昭和30年
1955 |
4・8 八重山移民開拓団が出発。 |
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11・9 八重山第三回移民家族が出発する。 |
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12・7 楚辺農耕許可下りる。 |
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12・18 第三次南米ボリビア移民団が出発。 |
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昭和31年
1956 |
3・13 比謝川配電により二四時間送電開始。 |
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4・ 小学校全児童にミルク給食開始。 |
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4・8 村長選挙投票日、無投票で伊波俊昭が当選。 |
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7・1 村広報誌「読谷村便り」創刊号を発行する。 |
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11・18 渡慶次公民館新築落成祝賀会が催される。 |
| 4・1 布令改正による校長異動により知花寺次郎先生喜名校へ栄転、コザ教育長事務所より具志清繁校長就任する。 |
昭和32年
1957 |
3・30 役所庁舎落成式が催される。 |
| 12・ 二階校舎二教室建築落成する。 |
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5・29 米国防省が沖縄にナイキ基地を建築中と発表する。 |
| ○運動場の整備、観覧用スタンドをPTA会長神谷乗敏氏の計画により実施完成する。 |
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6・20 布令一六四号告知第一三号で本村新規接収の通告を受ける。 |
| ○PTA会長役員改選により会長神谷乗敏氏、副会長長浜真一氏再選された。 |
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8・31 渡慶次校区青年会の主催で鎮守の塔において慰霊祭が催される。 |
○下記の寄贈品あり。
鉄製ブランコ 一基 神谷乗敏氏
校門 一対 当山真志氏 |
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9・20 民政府、ナイキ基地関係一四か町村長・政府各局長・立法院土地特別委各団体代表七〇名を招き、ナイキ誘導弾兵器説明会を開く。 |
| ○ストップオルガン購入する。(一万七千円) |
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12・25 村役場より『村の歩み』発刊される。 |
| 1・ 電燈施設される。 |
昭和33年
1958 |
1・10 教育四法署名公布 |
○本校校地、校舎状況
一、学校敷地 四〇〇〇坪
一、実習地 五〇〇坪
一、校舎 普通教室 二三教室
炊事宿直室 一棟
便所(仮便所) 一棟(スラブ便所 一棟) |
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2・1 那覇―先島間無線電話開通 |
| 6・ 医学理学博士長浜真徳氏により水道施設一切の寄贈あり、学校の門の向かいの友利氏の井戸より動力ポンプをもって吸水し鉛管により校地東北の角にタンクを設置してガラン一六を取り付けて給水する。 |
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4・24 役所職員、各学校児童生徒ほか村民多数が一号線(国道五八号)通過の「聖火リレー」を歓迎する。 |
| 7・ 与那覇次郎氏の寄贈により掲示板を校地東北の角に建設する。 |
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6・28 高志保公民館で赤十字病院の無料診断が行われる。 |
| ○運動場南側台地に割当校舎一棟(二教室)を山内昌賢氏により建築竣工する。 |
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7・19 読谷沖映において屋良朝苗の沖縄タイムス賞受賞祝賀会が開催される。 |
| 10・ 山内昌賢氏の寄贈により北側便所の改築をなす。(スラブ葦) |
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9・16 B円からドルヘ通貨切替がなされる。 |
| 10・ FBISスワンソン氏の好意によりコンセット二棟受領五ヶ部落の奉仕により運搬をなし、実習地に建築し、幼稚園々舎に使用する。 |
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10・19 第六次南米ボリビア・第五次南米ブラジル青年移民団二九名が出発。 |
| 11・2 運動会を挙行する。 |
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10・25 儀間公民館落成祝賀会が催される。 |
| 11・2 知花慎次郎氏よりテント一張りを校名入りで寄贈された。 |
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11・ 明るい健康な村をめざし、ツベルクリン反応・レントゲン集団検診(第一回)を実施する。 |
| 11・ 給食室宿直室を山内昌賢氏の請負により建築竣工する。 |
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| 2・15 学芸発表会を挙行し、その後学校施設寄贈者に対し、感謝状の贈呈及び感謝会をPTA役員で開催す。 |
昭和34年
1959 |
1・ 渡慶次区、戦後初の生年合同祝賀会を開催する。 |
| 4・ 具志清繁校長宮前小学校校長へ転任、嘉手納小校より伊波剛氏校長として就任。 |
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3・20 読谷バスターミナル開所式。 |
| 7・29 六〇周年記念事業建設委員並業者との懇談会開催。 |
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4・19 南米ボリビア移民団出発する。 |
| 8・ 校地周囲のブロック塀総長四八四mの工事開始(九月上旬完成)。教育委員より一、七八三ドルの補助を受く。校区父母総動員の協力により短期間に工事完了する。 |
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4・30 村育英会の設立総会が開催される。 |
| 10・16 事務職員配置さる。 |
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6・30 石川市宮森小学校に米軍ジェット機墜落、児童を含む多数の死傷者を出す。 |
| ○政府補助により給水施設認可さる(補助額二九二五〇ドル) |
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8・12 宇座区、戦後初めて盆踊りエイサーを行う事を決める。 |
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8・24 村営火葬場が落成する。 |
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10・31 残波岬にて米陸軍第九七砲兵隊、ナイキハーキュリーズの第一回発射実験を実施する。 |
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