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当時の新聞から関連記事の内容を要約抜粋すると、
一九八六・三・一八 沖縄タイムス
渡慶次小学校三味線部、クラブミニ発表会(三・一五同校体育館)
二年前に顧問の山内昌重教諭の赴任がきっかけで教育課程の中に三味線などの郷土音楽を加え、児童らの情操面の発展に力を入れている。今では二〇曲以上をこなせるようになった。三味線を習い始めてからは、家庭でも歌詞の意味をお年寄りに教えてもらったりしてコミュニケーションが増え、大きな学習効果をあげているという。
一九八六・四 沖縄タイムス(「大弦小弦」)
地域や学校で、ふるさと学習の機運が高まってきたようだ。最近では読谷村内の小学校で相次いで子どもたちによる郷土芸能の発表会が開かれ、父母たちを感激させた。教材にふるさと学習を取り入れ、高学年を対象に三味線クラブをつくっての取り組みは、情操教育にも効果を上げているという。…こういった郷土芸能とは別に、農耕、料理、伝来の追い込み漁などを体験させる学習も盛んである。…単に大人たちの郷愁の押し付けではなく、暮らしに息づいた郷土の良さを、正しく学ばせることは大切だ。そこからふるさとを愛する心が芽生えてくる。そしてそれはふるさとの平和を守る心ともなる。育てたい。
一九八六・一〇・二九 朝日新聞
「郷土芸能を通じて、子供たちの心が豊かになったほか、学校と地域(社会)の結びつきにも役立ってます」(伊波裕昭校長)
一九八八・八・三〇 沖縄タイムス
(一八日の交流会の様子)
大阪大正沖縄子ども会が「安波節」「久高マンジュウ主」「秋の踊り」などの演奏、「貫花」「谷茶前」の舞踊、エイサーなどを披露。渡慶次小学校三味線部は、「瀧落とし」「仲順流れ」「イチュビ小節」「唐船ドーイ」のほか、獅子舞も披露。
一九八八 沖縄タイムス
本土復帰一六年目を迎え「本土化」があらゆる面で進行する中で、沖縄の伝統的なものの良さ、大切さについて問い返す動きも活発だ。その顕著なものの一つが琉舞や古典音楽だろう。(月日不明。「芸能視点」「子供たちに定着する芸能」)
などとなっている。
次に参加した子どもたちの声を『渡慶次小学校三味線部・クラブ発表会―受け継ごう赤犬子の心―』(一九八七年三月一日、読谷村総合福祉センター)記念誌から拾ってみよう。
〔三線教育全般について〕
六年 長浜真輝
三味線から学んだものは
三味線から学んだものは
希望だった
がんばるぞと言う
いきごみを教えてくれる
希望だった
三味線から学んだものは
たのしさだった
かなしい時
なぐさめてくれる
たのしさだった
三味線から学んだものは
愛だった
人だすけのやさしさ
愛だった
ぼくはその三味線を友にして
新しい旅に出る
五年 山内力
三味線クラブに入って、もう約二年になります。三味線だけできて、あとはなにもできない子になるなといわれたときから、バスにのるときも、「おねがいします。」といってのり、おりるときもちゃんと、「ありがとうございました。」と、いっておりるようになりました。
何か発表会があって、どこかの先生がたがきたら、「こんにちは」と、いえるようになりました。
〔読谷まつりについて〕
六年 新垣こずえ
とくに、読谷まつりは、とっても感動しました。私達、渡慶次小学校の三味線部だけでなく、クラブや、他の小学校の人達と、心を一つにしてがんばろうというのは、とってもいいことで、他の学校の生徒と仲良くできて、とってもうれしいです……とうとう、本番の日がやってきました。ドキドキしながら舞台の上に坐り、一曲、一曲を大切に、一つ、一つの音をたしかめながら、大きな声で歌いました。一曲がおわると、お客さんは、大きな、大きな、それも普通の拍手では、かなわないような拍手をくれました。心の中は、少しだけれど心配が安心に変わり、きんちょうした顔が笑顔にだんだん変わっていきます。

第11回読谷まつり(1985年11月)から、
大勢の観衆に見守られながら
五年 新垣円
三味線を続けてきてとてもうれしかったのは、練習している時先生にほめられたことでした。先生にほめられると、なんだかやる気がでてくるので、覚えられない所でもすぐ覚えられるのでとてもうれしかったです。
三味線を習ってうれしいことばかりではありません。読谷まつりの前や発表会の前などは、あのやさしい先生がまるでおにになったように、とてもきびしいのです。毎日、毎日放課後は練習でとても苦しくてもう三味線はやめよう、と何度も何度も思ったけれど、今やめたら、もう、先生ともみんなとも、三味線が弾けなくなる。
〔平和祈念堂・子ども平和祭〕
六年 儀保信虎
さっそく、祈念堂の中に入ると、両手を合わせて、祈りをささげている大仏様が、ぼく達をむかえてくれた。その目はやさしく、平和をねがい、長い年月をかけてこの大仏様を作られた方の気持ちが、心に伝わってくるようであった。
渡慶次小学校の三味線クラブとコザ小三味線クラブの生徒はこの大仏様の前で、合同演奏をすることになった。
演奏の前に一回、リハーサルをした。…リハーサルを終えて、ぼくたちは昼食をした。
…いよいよ演奏会のはじまりだ。「トゥン、トゥン、テテン、トゥン、トゥンテテン、かりゆしのあしび、うちはりてからや………。」と、安波節が始まった。
ひきはじめは、きんちょうし、右手がふるえてなかなかうまくひけなかった。みんなも、きんちょうしていたとみえて、「ひくのがちょっとはやすぎるな。」と、思えたが、しだいに調子も良くなり、きんちょうするうちに、ぶじ終りょうした。
ぼくたちの演奏が終ると、まわりの人から、大きな拍手があった。ぼくはそのときとても感動した。「三味線を続けてきて、よかったなあ。」と、三味線の音が、ぼくの体の中に生きがいのようなものを感じさせてくれた。
演奏会までの練習は、渡慶次小学校の三味線クラブは学校で、コザ小はコザでと、別々に行った。それがみんなをきんちょうさせたのか、演奏前の渡慶次小学校三味線クラブの表情は、かたく、顔がひきつり、いまにもふるえそうだった。それは、コザ小の生徒もみんな同じではなかっただろうか。しかし、渡慶次小学校三味線クラブの生徒も、コザ小三味線クラブの生徒も、それをのりこえて、ここまでやってきた。
世界には、平和をねがう人たちが、何百人何千人、何千万人もいる。そして、その平和をねがう人たちの好意をむだにしないためにも、けっして、平和をみだしてはいけないという心が、今回の「子ども平和祈念奉のう祭」に参加して、ますます深まっていった。(五年生のときの作文)

「平和の誓い」を朗読する

平和への願いを込めた奉納演奏
六年 知花操
「わあ、大きな大仏様だ。それに大きなつるだ。」
ぼくは、あまりの大きさにとても信じられなかった。写真で見たことはあるけど、本物が見れるとは、思ってもみませんでした。「こんな大きな大仏様は、どのようにしてつくられたのかなあ。」とぼくは、大きな口をあけてポカーンと見ていました。
ぼくたちは、その大仏様の前なので、とてもきんちょうしてあわてていました。でも、あとからはなれてきて、調子よく太鼓を打つことができました。
演そうがぶじおわり、トイレにいこうとすると、父の姿が目に入り思わず「お父さん。」と、さけんだ。
ぼくの演そう会に、父がきてくれてうれしくてたまりませんでした。
〔山田多津子琉舞道場・温習会〕
六年 新垣慶一郎
六年になり、いまでは声も変わりつつある中で、山田多津子琉舞道場の発表会の地謡として、秋の踊り、鳩間節、貫花、湊くり節、海ぬちんぼらー。マーミナ節を、いっしょうけんめい練習している。踊りと合わすのは、たいへんむつかしい。琉舞道場の本番日は、あさってにせまっている。他の仲間八人と力を合わせてがんばりたい。

頑張った「温習会」での地謡
〔ミニ演奏会〕
五年 与那覇尚子
三味線クラブ・部のミニえんそう会では、私も「海のチンボーラ」の地かたをしました。最初は自信がなかったけど、練習を毎日おぼえるまでし、一年生を楽しくおどらせることができ、とてもうれしかったです。
おばあさんたちも、三味線にあわせて、手拍子をしてくれました。泣いているおばあさんもいました。
〔二四時間テレビ「愛は地球を救う」〕
五年 山城亜矢乃
夏休みは、いろいろあったけど、一番心に残っているのが、二四時間テレビ「愛は地球を救う」へ出演したことです。募金をとおして、アジアの人々、全国のめぐまれない人々を救う運動です。私たちは、その運動に協力するために、いっしょうけんめい三味線をひきました。初めてのテレビ出演でとてもドキドキしました。最後の曲、唐船ドーイになると、みんなが手拍子をしてくれました。とてもうれしく、たのしかったです。募金も、いっぱいになりますように!
二日目、私たち三味線部も一人一人小遣いを出し合い「世界中の人々が幸せになりますように」と募金をしました。また、私のおばあちゃんから、あずかってきたお金を募金箱に入れようとしたら、何と千円でした。おばあちゃんの心がみんなにつうじますように、役に立ちますように……。
三味線をひいて、人の役に立てる。何て、ステキでしょう。世界中の人々が幸せで、平和でありますように……。

1986年8月23日 沖縄タイムスより
〔子ども芸能祭、浦添市民会館大ホール〕
五年 当山恵里子
大きなホールなのに、いすにすわれないほど、たくさんの人がいました。さいしょは、ちゃんと、あっていたけど、安里屋ゆんたで、あわなかったので、夜の部のときは、ちゃんとあうかな。と心配でした。
夜の部は、全部あいました。みんなの三味線があったときは、うれしかったです。
わたしは、お父さんと、お母さんに、見てほしかったけど、仕事で、これなかったのでざんねんでした。家に帰って、お父さんと、お母さんに、子ども芸のうさいのことを、話しました。お父さんと、お母さんは、行きたかったなあ、と言っていました。らい年の、子ども芸のうさいは、お父さんと、お母さんに来てもらいたいです。(四年生のときの作文)
〔最後に、五年生の玉城真理子さんの作文から〕
お正月やお祝いの日に、三味線を家でせいいっぱいひくと、みんな喜んで聞いてくれる。字渡慶次の行事にも、よくださせてもらった。そのような時は、「本当に三味線をやってよかったなあ。」と思う。
読谷まつりでは、五校の小学校の三味線えんそうがあった。沖縄中、どこをさがしても、三〇〇名のせいとが、三味線をひく村はないと思う。読谷村たった一つだと思う。読谷村に生まれたことを、ほこりに思う。
合宿では、生活のマナーや、合宿とは何かを学んだ。目標に立ち向かい、いっしょうけんめいがんばった。
二四時間テレビ「愛は地球を救う」では、三味線を弾いて、アジアの人々を救うための運動に協力した。世の中が、平和でありますように、と心をこめて弾いた。
運動会では、エイサーの曲を弾き、パーランクーが、運動場にひびきわたった。ししまいや、リズムたいこなどのえんそうもして、運動会をもりあげた。
こうした子どもたちの声は、伝統文化教育の持つ、底知れぬ力を物語っているように私には思える。
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