母校一〇〇周年に寄せて

仲宗根盛敏

 この度の渡慶次小学校一〇〇周年誠におめでとうございます。私は昭和一二年入学し、昭和二〇年沖縄戦勃発とともに卒業した児童の一人です。月日の流れは駿馬(しゅんめ)の如く母校を離れてから早五六年余の歳月が過ぎました。時の流れは母校の記憶も忘却のかなたへ押しやられる今日この頃でしたが、栄えある二一世紀の初頭になって創立一〇〇周年記念事業の吉報に接し、幼少の頃の思い出が次々と脳裏に浮かんでまいります。それらは木造瓦葺きの長い校舎、級友と散歩した学校裏の森、木登りで遊んだ緑豊かなガジュマル、授業に遅れた時背伸びして覗いた学校前の石垣、校門前にあった農業実習地、筆記用具を買った友利商店や国頭屋(クンジャンヤ)のお店、また校章のデザインや校歌を作詞作曲して下さった渡久地政功校長先生や戦況たけなわの久場里一校長先生ほか数多くの恩師の方々のありし日のお顔が走馬灯のように蘇(よみがえ)ってまいります。
 当時の学校生活の中で嬉しかったのは運動会と学芸会と遠足でした。低学年のときは、残波岬や喜名の観音堂、二本松でしたが、高学年は恩納村の万座毛、普天間宮へも徒歩でいきました。万座毛や普天間宮は遠い道のりでしたが、一年に何回かのお米のお弁当にありつけるので疲れも吹っ飛びました。このように楽しかった学校生活も昭和一二年の入学から八年目にして戦争に巻きこまれ卒業証書ももらえませんでしたが、八年間教え育てて下さった愛する母校にいつも感謝の気持ちで一杯です。在学生のみなさん渡慶次小学校で学ぶことに大きな誇りを持って下さい。本校は数多くの有名な人々を輩出いたしました。参考までにお名前を記するとすれば、知花清元読谷山村長、屋良朝苗元沖縄県知事、当山真志立法院議員、山内昌彦陸軍少佐、長浜真徳医学博士、山内徳信前村長、安田慶造現村長、そのほかにも各分野において多くの方々がご活躍なされております。このようなご先輩の方々をお手本にして児童のみなさんも勉強に運動に、また家庭のお手伝いに一生懸命頑張って下さい。
 私は、平成一四年二月三日、みなさんの学芸会を見て大変感動致しました。それは、音楽の中に日頃の学校生活や将来の希望を表現して歌い上げ、また宇宙船地球号の劇の中で陸や海の環境汚染を訴え、生き物を哀(あわ)れむなど、その他にも実にレベルの高い演技ですばらしい学芸会だったと思います。ありがとう。また本校の名物に樹齢九八歳のガジュマルがあります。夏はみんなにすずしい風と大きな木陰を与え、一日一日の歴史を刻みながら多くの子ども達を育んでまいりました。それは実に渡慶次小学校一〇〇周年を飾るにふさわしい宝物だと私は思います。どうか我が母校よ、先生方よ、これからも立派な子ども達を育てて下さい。
 結びに、渡慶次小学校の永遠にわたる弥栄(いやさか)と良い子のみなさんの逞しい成長を御祈念申し上げて私の思い出の記と致します。